『ちょっと、相談があるのだけど……シャーマンである貴方達を、見込んで』 朝起きて、早々に支度を整え食堂に降りて行った葉とリゼルグは、おばあさんにそう言われた。 何でもおばあさんは昔から霊感が強く、彼らを一目見てシャーマンであると見抜いたらしい。 そして、どうやら積もる話になりそうだったので、リゼルグがを起こしに、彼女の部屋まで行ってみると―― 荒らされた上、もぬけの殻だったという。 窓は大きく開け放たれ、乾いた泥で汚された床やカーテン。 その中にいくつか混じる、猿に良く似た、しかし猿にしてはやけに大きい奇妙な足跡。 足跡は森の奥まで続いていた。 部屋を目にしたおばあさんも、一声「まあ」と目を見開いたまま固まってしまった。 そして、小さく告げたと言う。 「これもきっと、あいつらの仕業に違いないわ」と。 街の炭鉱跡に、化け物が住み着いてあれこれ悪戯をするので、困っている。 それが葉達が老夫婦から受けた相談だった。 を攫ったのも、その化け物の仕業らしい。 (…いい加減にしてくれ) 正直リゼルグはそう感じた。 確かに昨夜は、おばあさんの人懐こさに少し毒気を抜かれてしまったが… この家は精霊で溢れているし、目の前の老夫婦だって只の人間でないことは、既にわかっているのだ。 彼女を連れ去ったのも、構って欲しかったからに違いない。 早くパッチ村へ辿り着かなければいけないこの時に、無関係な事で足止めを食っている場合ではないのだ。 何より、そんな勝手な事情で彼女を利用したことも気に食わなかった。 だから当然、リゼルグは老夫婦へ断ろうとした。 化け物云々はともかく、に関しては自分達でさっさと見つけ出して出発すべきだと考えて。 探し物は自分の最も得意とする分野だ。 だが―― どういう訳か、突然割り込んできたシャローナ達にうやむやの内に掻き回され、気付けば全員雁首揃えて化け物退治へ行く羽目になってしまった。 「いいこと? どっちが化け物を倒したとしても、報酬は山分けよ!」 化け物の住処だという洞窟内で、シャローナの高らかな声が響く。 その後ろで、ミリーに付き添われながら、リゼルグは始終仏頂面で歩いていた。 その前方に、もう一人。仏頂面で黙々と歩を進める者がいた。 『ぼっちゃま…』 「…なんだ」 『殿は大丈夫でしょうか…』 「知らん」 『………』 相変わらずにべもない主人に、馬孫は口を噤んだ。 しかし、心配そうな表情は尚も崩さぬまま。 馬孫はこの中で誰よりも、主人と過ごした時間が長い。それこそ、この彼が生まれたときから。 だから彼が誰よりも我が強く、意地を張る人間だということも、知っている。 自分に対しても他人に対しても、ひどく不器用であることも。 無関心を装いながら、それでも気付けば一行の一番先頭を歩いていることも。 「―――なあ、馬孫」 不意に話しかけられて、驚く。 振り向けば声の主は―――葉だった。 『…如何致しましたか?』 「蓮の奴……一体、どうしたんよ?」 『それは…』 嗚呼、やはり周囲にもまるわかりなのだ。 「と…何かあったんか?」 『………』 何とも言えなかった。 主人のことだ。 たとえ相手は葉であれ、恐らく、いや確実に―――己の知らぬところで、自分について話されることは厭う。 だから、馬孫もただ謝るしかなかった。 葉の心配そうな、浮かない顔に罪悪感を感じながらも。 頻りに謝りながら、いつもより若干早く歩いている主のところへ、戻った。 □■□ 暗い洞窟を抜けると、暫くして、だだっ広い場所に出た。 大小の鍾乳洞の奥に、泉が広がっている。 碧く煌めく水。鍾乳洞から雫が落ち、波紋を生む。ゆらゆらと、岩の天井に光が反射している。 どうやらここが行き止まりのようだった。 周囲の気配を探りながら、一行は一息つくことにした。 一向に化け物の正体に気付かないシャローナ達に、見かねたホロホロが呆れながら説明をしているのが、聞こえる。 (………) 憤慨する彼女らの、女性特有の高い声に、蓮は顔を顰めた。 壁に反射した光の紋様が視界に入る。ゆらゆら。ゆらゆら。 ――水。 そういえば今朝見たあの夢も、確か水、だった。 否。 正確に言えばそれは―――泪。 ぴちゃん。 一滴。 広がる波紋。 白い頬を、伝う泪。 泣いている。 (っ…) 蓮は頭を振って、そのまとまりのない思考を追い払った。 余計なことは、考えるな。 「わからないのは、そうと知りながらどうしてここまで精霊達に付き合ってあげるのかってこと。 パッチ村の場所はわからないし…無駄に出来る時間はないのに」 リゼルグの声が聞こえる。 余裕の無い、どこか切羽詰った声。……非難したくはないのだけれど、他に言い方が見つからなくて、結局そういう言葉しか思いつかなかった、そんな響き。 …余裕が無いくせに、最後の最後で優しい。それがこの男なのだと思う。 詰めが甘いと言ってしまえばそれまで。 だけど。 彼が傍にいるなら、アイツは、大丈夫だ。 そう思っている自分が、いる。 優しい彼ならば、きっと。 自分には出来なかったことを、してくれるだろう。彼女に。 大丈夫。 きっと、すぐに慣れる。 そういうものだ。 泣かせたりなんか、しないのだろう。彼ならば。 「―――!」 そのとき、不意に視界を何かが横切った。 それに気付いたのは蓮だけではないようで、他の面々も心なし顔を引き締める。 「…ったく。待ちくたびれたぜ」 ボードを手に、ホロホロがやれやれと立ち上がった。 その間にも、気配が濃くなる。数が増えていく。 それはあの屋敷で感じていたものと、全く同一の気配。 微かな霊気。 そして――とても、無邪気な。 「どんな化けモンなんだろうな」 そう葉が呟いた時――― 『来ますぞ!』 馬孫の声と同時に、彼らが姿を現した。 白い毛並みに覆われた、猿に良く似た巨体。 そんな彼らの武器は泥団子だった。 殺傷性も何もない、人にとっては子供の遊び道具だ。故にそこに殺意は全くないのだろうが――当たれば当然、汚れる。顔に受けたら悲惨そのものだ。 精霊達の泥団子攻撃を器用に避けながら、蓮はまた一匹、馬孫刀で貫いた。 硬い手ごたえと共に、丸太が姿を現す。どうやら精霊達はこれにオーバーソウルしているらしい。 段々とこの遊びのルールがわかってくる。 そしてまた一匹、丸太へと戻してやっていると――― ふと、後方の一匹が、サッと小さな横穴へと逃げ込むのが見えた。 どうやら葉達は気付いていないらしい。 だが蓮の近くにもう敵はおらず、全滅させることが勝敗を決めるのだとすれば、たとえ一匹でも見逃せない。 蓮は迷わず、その逃げた一匹を追った。 思ったよりも深い。 そこは穴と言うよりは、細い通路のようだった。 広場にたどり着いた時は、余りにも小さく、またさり気ないため、完全に見逃していた。 しばらく進んでいくと、白い背が見えた。 向こうも此方の気配に気付いたのか、振り向きざまに泥団子を投げつけてくる。 それも予想の内、蓮は息を小さく吐くと――馬孫刀を一閃させた。 切り裂かれ、あらぬ方向へ飛び散る泥。 そのまま蓮は馬孫刀を大きく振りかざし、精霊を一刀両断した。 ごとん、と重い音を立てて丸太が転がる。 丸太から小さな光が飛び出ると、しばらくそこをふよふよと巡回し、また広場の方へと飛んでいってしまった。 あれが精霊達の本体らしい。 が。 「全く……わざわざ連れて来て、俺はそのままか」 一人残された蓮は、不満げに呟いた。 仕方なくまた広場の方へ戻ろうとして――― やっと、気付いた。 「……、…」 嗚呼 お前は そこに、いたのか 彼女は眠っている。 すやすやと、いとも安らかな寝息を立てて。 他のメンバーが、今何をしているのかも知らずに。 精霊達の僅かばかりの配慮だろうか。 比較的平らなところに、彼女は寝かされていた。 「………」 気付けば、蓮はふらりと足を踏み出していた。 一歩一歩ゆっくりと踏みしめて。 彼女に近寄ると、スッと膝をついた。 間近で見る、彼女の顔。 その顔が――奇妙に、夢の中の残影と、だぶる。 ふとした拍子に、じゃり、と音を立ててしまった。 その音に気付いたのか―――彼女が、うっすらと目を開けた。 「……、…ん…」 思わず蓮は身構えた。 が。 目蓋の奥から現れた双眸は、まだぼんやりとしていて。 眠気が完全に抜け切っていなかった。 まだ意識は九割方、夢の中なのだろう。 焦点の合っていない瞳は、ゆるゆると蓮を見つけると―――くしゃりと笑った。 「っ…」 嗚呼、また。 掻き乱される。 そんな蓮の内心は気にせず、は嬉しそうに、また名前を紡ぐ。 「れ、んー…」 どうして どうして どうしてそんなに、嬉しそうな顔をする? の手が伸びる。 蓮の、手へ。 その頼りない感触に―――何故か、振り払うことは出来なかった。 「………」 「ゆめ、だったのかなあ…」 ぽつん、と。 が呟く。 夢心地のまま。 「れんとね…はなればなれに、なっちゃうの」 まるで子供のように、とろんとした無防備な声音。 だがそれゆえに――嘘偽りなどない、彼女の心が、見えた気がした。 少しだけ、寂しげで。 「でもそれもしかたないのかなあって……かんがえた…」 「……どうしてだ」 「だってわたし……れんのやくに、たってない……いつもたよってばっかりで…ないてばっかり…」 でもね、わたし、かんがえたんだ… たどたどしく唇が紡ぐ。 「りぜるぐにいわれて、ちょっとだけ、おこられて……おもった。ああわたし、はなそうとしてないなぁって…」 「どういうことだ?」 「このあいだ、れんとなかなおり、できたときね……きめたんだ。なにかあったら…れんと、ぜったいにはなそう、って」 「………」 「ひとりでかかえこまないで……はなそうって…そうすれば、だいじょうぶだって……」 でも…ゆめだったんだね。ぜんぶ、ぜんぶ。 だってれんは、ここにいて。 すごく、やさしい…あったかくて…そばに、いて… こんなにうれしいことは、ないの… そう言って、また、ふにゃりと微笑う。 その顔を、蓮は黙って見つめる。見つめるしか、出来なかった。 どうしてだろう。 どうして。 胸が、いっぱいに、なる。 何も。 彼女に、言えなかった。 「…ねえ、れん」 「何だ」 「あのね…」 つたえたいことが、あるの まだ眠気が抜けないながら、やけにはっきりと、は言った。 「…言ってみろ」 「ううん、いまはいわない……あとで、あとで、いうから…」 また眠気が襲ってきたのか、再び目がとろとろと溶けていく。 目蓋が重力に耐え切れず下りてくる。 それと同時に、口の動きも小さくなって、やがては言葉も止まり―――また、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきた。 「………」 いつのまにか手も放されている。 その寝顔を、蓮はぴくりとも動かず、見つめていた。 やがて――――ぐっと、拳を握り締めた。 「よぉーっし。これであらかた片付いたかな」 ふう、と一息ついて、泥まみれの顔を拭い、葉は辺りを見回した。 あの奇妙な白い獣の姿はもう見えない。 代わりに本来の姿を現した精霊達と、やりきった感溢れる仲間達の顔が目に入った。 「…あれ?」 一人足りない。 そう思ったその時。 「――おい」 足音がして、振り向けばそこには姿の見えなかった一人が。 を抱えて立っていた。 「…っれ、ん…よかった、見つかったんか」 「ああ」 思いもよらぬその姿に、葉は驚きの言葉を呑み込んだ。 蓮の返答はやはり素っ気無い。 「―――!」 そこへ、リゼルグが走り寄ってくる。 彼も何だかんだ言いながら、結局最後は、付き合ってくれた。 やっぱり良い奴だ。葉は思った。 そんなリゼルグも、やはり所々が泥で汚れていた。皆と同じように。 「……慌てるな。寝ているだけのようだ」 その言葉に、リゼルグも「…良かったぁー」と安堵の息を漏らした。 ―――そんな彼の姿を見て。 葉も、ようやく気付く。 そうか。リゼルグも、のこと… そう思ったのも束の間。 「リゼルグ、こいつは任せる」 「え…? あ、うん…」 蓮がをリゼルグに渡して。 リゼルグもやや困惑げに、を受けた。 葉も、やはりその蓮の態度に怪訝そうな顔をするも―― とりあえず早く外に出ようぜ、というホロホロ達の提案によって、その場は切り上げることになった。 洞窟の外。 『サンキュー、シャーマン! こんなに楽しかったのは数百年ぶりだ!』 まやかしが解ける。 村は荒れ果てた本来の姿へ戻り――だが精霊達の顔は晴れやかだった。 見渡す限りの青空が、少し眩しい。 『…おい、お前』 「え?」 精霊の一人が、リゼルグに声をかけた。 しょんぼりと視線を落としながら。 『あ…なんだ、その…悪かったな、足止めさせちまって』 その娘も、勝手に利用しちまったし… 精霊が、リゼルグに背負われたを指しながら、言った。 彼女はまだ穏やかに眠っている。 しばしリゼルグは黙って精霊を見つめていたが、 「まあ…たまには、いいさ」 そう言って、にっこりと笑った。 「……ん…」 その時、がもぞもぞと動いた。 ゆっくりと上がる目蓋。 「…あ…リ、ゼルグ…?」 「…! 起きたんだね」 「う、ん…」 眠そうに目を擦りながら、はリゼルグの背から下ろしてもらった。 「ここ、は…?」 『村の外れさ。大丈夫か? どっか痛くないか?』 「うん…だいじょうぶ…」 精霊にそう答えながら、ふわ、と小さく欠伸をして。 はリゼルグに尋ねた。 「…リゼルグが、ずっとわたしのこと……背負ってきてくれたの…?」 「え? う、うん…そうだけど」 どうかしたの? と聞き返すリゼルグに、「ううん…なんでも、ないの。…ありがとう」とは首を振った。 (そっか……夢、だったんだ…) 少しだけ、ちくりと胸が痛んだ。 そうだよね あんな風に穏やかに蓮と話すなんて、もう随分ない。 それなのに。 手を握ったあの感触が、忘れられない。 夢のはずなのに。 ただの、ゆめ、なのに。 「………」 俯いてしまっただったが、ふと、この場にメンバー全員が揃っていることにようやく気付く。 「でも、どうして……みんな、ここにいるの? 精霊達まで…」 「ああいや、これはだなあ…」 どう説明したものかと苦笑する葉の横で、精霊が声を張り上げた。 『みんなで遊んでたんだよ。なあ?』 『おう!』 「…へ、ぇ…」 とりあえず納得したのか、も頷いた。 そこへ、また別の精霊が口を挟む。 『なあ、また歌、うたってくれないか!?』 「え?」 『馬鹿かお前、また星乙女様を疲れさせる気か!』 『いいだろ! だってさ、もういつ聴けるかわかんないんだし……昨日みたいなデカイ奴じゃなくたって、いいからさ…!』 慌てて言いつくろう精霊に、昨夜の姿が重なる。 あの時の穏やかな気持ちを思い出して。 ふわりとは微笑んだ。 「うん…わかった」 途端に精霊達の間から歓声が上がる。 どうやら一応止めていたとは言え、歌を聴くのに異存はないらしい。 そんな彼らの無邪気さを、どうしようもなく愛しく感じながら―― はまた、すぅっと息を吸い込んだ。 「……すげ…」 ホロホロが、思わず呟いた。 抜けるような青空に、しん、と響き渡る澄んだ旋律。 少女の甘さを残した、儚いながらも、どこか芯を持った歌声。 癒しと平安。 柔和で、穏やかな。 まるで陽だまりのようにあたたかな調べを、紡いでいく。 ホロホロのように声に出さないまでも、他の面々もただその歌声に聞き惚れていた。 ほとんどが初めて聴く、の歌。 初めて触れる、“星の乙女”の歌だった。 『―――しっかしお前ら凄いよなぁ! まさか星の乙女と一緒に旅してるなんて』 「何だ、お前達も知ってるんか?」 精霊の感心するような言葉に。 葉は不思議そうに尋ねる。 すると、当然とばかりに精霊が頷いた。 『あったりまえだろ! あの方は、俺達の間でも有名なんだ』 『だから、まさか一緒に遊べる日が来るなんて思いもしなかったよ』 もう一匹の精霊が、しみじみと言った。 その口ぶりに、ホロホロも問いかける。 「“あの方”って……そんなに偉いモンなのか、“星の乙女”ってのは?」 『偉いなんてもんじゃないよ! あの方は…グレートスピリッツに唯一選ばれ、愛されている方だ。俺達みたいな末端とは違う。あの方はグレートスピリッツと人とだけじゃない、グレートスピリッツと俺達を繋ぐ橋渡しでもあるんだ』 「巫女みたいなもんか? オイラの母ちゃんもそうだぞ」 葉の言葉に、精霊は『違うよ!』と大仰な仕草で言った。 『巫女じゃない。だって巫女は人間がなるもんだろ?』 「……どういうことだ」 その意味を掴みあぐね、思わず蓮も口を挟む。 『だからさ―――あの方は人間じゃないんだ』 それに倣い、他の精霊達も口々に続ける。 『地上に存在するすべてのものの原点』 『ワールド・メーカー。…大地の創造者』 『或いは世界の創始者』 『俺達にとって、グレートスピリッツと同等の存在』 『それが“星の乙女”』 まるでうたうように。口ずさむように。 精霊達は、言った。 「……―――…」 また“星の乙女”についての、知らない面を見た気がして。 葉達は思わず口を噤むと、目の前で何も知らずにうたっている少女を、見つめた。 精霊達と戯れながらうたう彼女は、きらきらと、太陽の光を受けて輝いて見えた。 こうして見れば、ただの女の子なのに。 その裏に隠れている確かな役割を、垣間見た気がした。 「おしゃべりはそこまでだよ」 突然視界が真っ赤に染まった。 「何をやっているんだ、葉」 血の色をした巨大な手が、空に浮かんだ精霊達を鷲掴みにする。 悲鳴が響きわたった。 「君にはほんと困ったもんだな」 その強大な巫力を纏い、不敵に笑いながら姿を現したのは――― 「ハオッ!」 リゼルグの顔が瞬く間に厳しくなる。 その視線の先には、スピリット・オブ・ファイアの肩に座すハオの姿。 一体、いつの間に―― 「僕にとって時間は無限なんだ。でも葉、君にはこんな連中の相手をしている時間はないんだよ」 呆然と見上げる葉達の前で。 スピリット・オブ・ファイアの拳が、ぼうっと赤く燃え上がった。 精霊達を握り締めたまま。 声にならない悲鳴が耳に届く。 炎は見る間に空気上を伝染し、宙を飛ぶ精霊達すらも巻き込んだ。 「早く強くなってくれ、葉。僕はそろそろ、堂々巡りは終わりにしたいんだ」 そう嫌な笑いを浮かべ、告げるハオの言葉に。 余りの光景に、葉達は呆然と見上げ―― 「やめてッ!」 不意に響いたの声に、ハッとなる。 白々しくハオが言った。 「ああ、君、新しい歌をうたえるようになったんだね」 「そんなこと、きいてない…スピリット・オブ・ファイアをとめて!」 あの彼女にしては珍しい、精一杯の厳しい声。 だがハオは、くすくすと笑ったまま何も答えない。 見かねたは―― 「スピリット・オブ・ファイアっ……おねがい、やめて!」 何を思ったか、今度はあの炎の精霊自身に呼びかけた。 だがあれはハオの持ち霊だ。主人は、勿論ハオ。 主人以外の言うことなど、聞く筈がないのだ。 だが―― 『 聞 き な さ い ! 』 そこにいるすべての者の予想を裏切って。 ぴくりと。 一瞬、スピリット・オブ・ファイアの動きが止まった。 これにはハオも軽く目を見張った。 「―――うん…? …、ああ…そうか」 少しの間首を傾げるが、すぐに納得する。 「君は精霊達にとっては、グレートスピリッツと同等の存在……その立場で命令すれば、さしものこいつも、って訳か」 そう呟き、なるほどねえ、と興味深げに頷く。 そこへ、ようやく我に返った葉達が、それぞれ武器を手に構えた。 「…お前達は、行け」 『馬鹿っ、逃げるんだよ! 相手が悪すぎる!』 『スピリット・オブ・ファイアに焼き尽くされるだけだ。魂も残らないぞ!』 「それがどうした!」 必死の形相の精霊達に、リゼルグはハオを睨みつけながら言う。 だが、 『勝てる相手じゃないのは、わかってんだろ!』 その一言で、顔が悔しげに歪む。 「そいつらの言う通りさ。今はまだ、その時じゃない…」 そんな彼らを悠々と見下ろしながら。 ハオが告げた。 「そのうちわかるさ」 微かな笑いを滲ませて。 そして、不意に――――無表情になる。 「確かに“星の乙女”はグレートスピリッツに選ばれた存在。故に、ただの人間とは違う」 「グレートスピリッツに最も近い彼女は、神の娘なんだ」 「―――だけど“彼女”は、僕のものだ」 その口調に。 どこか計り知れない、大きな何かを感じ取って。 再び不気味な沈黙が支配する。 誰も、何も言えなかった。 ですらも、呆然とハオを見上げた。 やはり何も答えられないまま。 嗚呼、彼は、本当に。 わたしの何を知っているんだろう―――…… 言い知れない不安が、胸の内に広がる。 しばらくして、言いたいことは全て言い終えたのか、ハオは去っていった。 □■□ 夕日が、山の端へ沈んでいく。 「…すまない」 『気にするなよ、シャーマン。お前達を呼び止めたのは、こっちなんだしさ』 頭を垂れた葉に、精霊がわざと明るい声音で言った。 だが、やはりそれはどこか強張っていて。 当然だった。 あんな風に、まざまざと力を見せ付けられてしまったら。 だがそれは精霊達だけではなかった。 リゼルグも、また。 「リゼルグ…」 「あーあ…またあんな顔になっちまったぜ」 精霊達に別れを告げ、足を進めながら、竜とホロホロが呟いた。 も不安げに、隣のリゼルグを見つめる。 その横顔は、陰になっていてよく伺えない。 だけど。 精霊の言葉が、甦る。 “きっと、だいじょうぶ” これから何が変わっていくんだろう。 何が待ち受けているんだろう。 何もわからない。 何も、読めない。 (…でも) は、果てしなく続く道路を見つめた。 旅は続くのだ。 終わるには、まだ早い。 その視線の先には、 あの黒いコートと黄色いマフラーを身につけた彼も、いた。 (…大丈夫。だいじょう、ぶ) 精霊達のくれた言葉をゆっくりと噛み締めながら。 は歩いていった。 |